にぼし煮込み 久留米うどん@渋谷 「きつね+かしわ飯」

久留米うどん@渋谷・20170917・無印前
 今日もランチ難民として、渋谷の街をウロつくオッサンひとり。久々に、「JINNAN RAMEN」でものぞいてみようかな……前回訪れたのは去年の秋で、再度冬に訪れると、また休業になっていました。ちょうど通りかかった関係者の方から聞いた話では、店員さんのビザが切れたとか……そろそろ再開してるでしょう。久留米うどん@渋谷・20170917・看板

 ところがなんと、平日昼営業のみのうどん屋になってるし。でも、「久留米うどん」とは東京では聞き慣れぬ名、しかもスマホをクリクリすると、経営は「JINNAN RAMEN」時と同じで、「ホルモン・豚料理研究家」の芳賀大地シェフのようです。それならちょっと面白そうかな……早速入店。
久留米うどん@渋谷・20170917・店舗
久留米うどん@渋谷・20170917・メニュー
 店内は、「JINNAN RAMEN」時代そのままで、メニューはご覧の通り「かけ」「きつね」など定番に加え、「ごぼう天」「丸天」といったご当地メニューも。メニュー裏面の能書き(写真は下掲)では、ご当地ではうどんは「汁物」で、ご飯ものと一緒に食べるものとか。それでは、様子見で「きつね」(560円)に「かしわ飯」(240円)をつけてオーダー。
久留米うどん@渋谷・20170917・きつね久留米うどん@渋谷・20170917・出汁
 それではまず、おつゆを一口……うん、なんとも透き通るような「可憐」な味わい。ネット情報では、「瀬戸内産の煮干やムロアジ、サバ節、羅臼昆布、鯛など7種類の素材」から出汁をとっているそうですが、味わいとしては煮干し・昆布の透き通るようなハーモニーが中心で、節系がソッと全体を支える感じ。味の作り方としては、うどんの「つゆ」ではなく、「お吸い物」のようなスタイルです。
久留米うどん@渋谷・20170917・麺
 麺は地元「久留米製麺」製で、讃岐の面とはふた回りくらい細い。しかも、箸で持ち上げられるか心配になるくらいの「超やわゆで」で、讃岐とはまったく真逆のアプローチ。福岡産の小麦を使い、味わいもじつに「穏やか」で……地方によっては、「お吸い物」に細い米麺を少量入れて出す場合がありますが、出汁と麺のコラボはそんなイメージ。
久留米うどん@渋谷・20170917・かしわ飯
 「かしわ飯」も、醤油のきかせ方が絶妙で、お米のフックラとした甘みが際立つ感じ。具材も、カシワ肉以上に椎茸がタップリ入って、魚介中心のお出汁と見事にシナジー。いやぁ……コイツは美味い。
 ちなみに、この日は「きつね」でしたが、後日「丸天」も試しており、この福岡の老舗(明治23年創業)吉開の丸天(さつま揚げに近い練揚物)が絶品。フックラとした柔らかさ、無添加で純朴な味わい、これが煮干し出汁と絶妙にマッチして……絶対にオススメ。

久留米うどん@渋谷・20170917・能書き
 実は渋谷には、宮崎うどんのお店もあってよく行くのですが、あちらも麺は非常に柔らかめ。久留米だけでなく、九州に広く分布するスタイルなのかしら……やや濃いめの味の「かしわ飯」を、「お吸い物」のような淡麗な味わいのつゆでいただき、ついでに「にゅうめん」のような麺をいただく。(東京人にとっての)「うどん」の常識を覆す「久留米スタイル」。機会がありましたら、是非。

 店舗情報は、こちら

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国の死に方、会社の死に方 (後編)


 先日、テレビで朝日新聞の社長記者会見を見ながら、「国の死に方」(片山 杜秀著)という本を思いだしたという話の後編です。前編はこちら

 組織における「分権化」により、意思決定権限が専門化された各組織の末端(タコツボ)に分散するというのは、よくあること。これをカバーする方法が、欧米では中間管理階層を簡素化してトップと末端を近づける「フラット化」であり、日本ではかつて、部長・次長・課長クラスといった中間管理職による「(タコツボ間の)相互調整能力」だった訳で、これらは名著「日米企業の経営比較」でも指摘されている有名な話。

 「日米企業の経営比較」がベースにしているのは「状況適合(コンティンジェンシー)理論」と呼ばれる(やや古い)経営理論で、組織が置かれた環境(競争状態)に対して、組織構造を常に変化させ適合させる必要があるとしています。そして、「国の死に方」が提起する命題は、組織を取り巻く環境から競争状態が消失し安定してしまった場合に、組織がどう変化するかということで、「権力」が際限なく「低き」=末端のタコツボに流れるというのです。そして、過去の日本の権力組織は悉く滅びた。

 企業においても、同業他社との競争的な環境になく、株主に対する経営責任も小さく、緩やかに衰退しつつも過去の莫大な遺産で食いつなげて、経営者が多少無能でも許されるようなケース、例えば新聞社のような組織の場合、権力が末端のタコツボに流れると同時に、「タコツボ以外=経営管理職」が「総イエスマン化」する気がします。

 タコツボ組織の中間管理職は、複数のタコツボを管理するためジェネラリストが必要で人事異動を繰り返しますが、その過程で各管理職は専門性を失い、各タコツボの言いなりになる(専門的過ぎて反論できない)。自分が管理するタコツボすらコントロールできないのに、他のタコツボ担当の管理職と調整などできる訳もなく、日本企業の強みであった「中間管理職による横の調整」なぞ夢のまた夢で、ひたすら上・下の言いなりになり下がる。

 そして、そんなイエスマン集団から、特に徹底したイエスマンが取締役に選ばれ、その中でも最優秀のイエスマンが社長に選ばれていく。そして、イエスマンの上司も、そのまた上司も、結局社長に至るまで、末端のタコツボから上がってくる「面白そうな話」を、ひたすら口をあけてジッと待っている、「深海魚」のような存在になるでしょう。

 たまに社長や取締役が「面白そうな話」を思いついても、長きにわたるイエスマン生活により内容は陳腐な上に市場からはかけ離れ、話をタコツボに下しても見向きもされない。逆にタコツボ側は、仕事せず給料がもらえるイエスマンに早くなりたくて、「深海魚」がとびつきそうな派手な仕事をやりたがる。より派手に見せるために、ブラフ混じりの提案を連発し、判断能力の低下した中間管理職には真偽の区別もつけられず、深海でヒマこく経営陣は面白がって実行に移してしまい、「不祥事」が立て続くことになる……

 会見内容や新聞・雑誌報道によれば、要するに慰安婦問題(吉田証言の遅すぎた取り消し)は、社内専門家集団(=タコツボ)の主張に長期間誰も異を挟むことができなかったことが原因であり、福島第一原発の吉田調書記事も、タコツボが調書をガッチリ抱え込んで書いたため、誰もチェックできなかったことが原因だとか。そして池上コラム問題は、そもそも慰安婦問題がなければ発生せず、発生後も「外的環境」に適合すべく適切・迅速に行動すれば、その拡大を防げたはず。

 ところで、あなたの会社はどうですか。あなたの上司はミーティングで「お上」の話を伝えるだけで、主任クラスの提案にはなんら異を唱えない、そんな「ニコニコ・オヤジ」のイエスマンではありませんか。そして、あなたの隣の部署も、そのまた隣の部署も、課長席・部長席には人当たりの良いイエスマンばかりで、ふと上を見上げれば、事業部長も執行役員も取締役も……もしそんな組織だとしたら、あなたの会社も朝日新聞なみに、「死」んでますな。


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国の死に方、会社の死に方 (前編)

 先日、テレビで朝日新聞の社長記者会見を見ながら、ふと「国の死に方」(片山 杜秀著)という本を思いだし、再読してみました。

 この本の前半のテーマは、「権力は低きに流れる」。永らく国家が安全保障面で安定してしまうと、権力はトップから徐々に組織階層下部の各末端に分散され、分散された部分権力をもつ各末端組織は全体に対する責任を考慮せず、トップは責任を果たすために必要な権力を喪失しているため、結局誰も全体に対する責任を負わなくなって、国が死ぬ。

 「国の死に方」によれば、鎌倉幕府は将軍家から執権、そして執権の執事であるはずの内管領に権力が流れて滅亡、室町幕府も将軍家から管領、その管領の部下(三好長慶など)、さらにその部下(松永久秀など)に権力が流れ、結局誰に何の責任があるのか不明な組織となって滅んだとしています。

 江戸幕府は老中制を使ってこの「権力の下方流出」を食い止め太平の世を築きましたが、安全保障面で問題が起こると脆くも滅亡。そのあとの大日本帝国憲法下の新政府も、江戸幕府の老中制にならって元老制度を取り入れましたが、やがて元老も死に政党政治も機能せず、権力が軍部末端に流れて歯止めがきかず、遂に完全に国が死んでしまいました。

 なぜ「権力は低きに流れる」のか。これは国と企業という差はありますが、経営学的には「分業」と「分権」という考え方で説明できると思います。安全保障面で問題がないときは様々な内政問題への対応がメインとなり、財務、金融、福祉、外交、通商などなど、幅広い分野それぞれに専門家があたる「分業」が必要となります。環境変化に適応するには各専門家の意思決定スピードが重要となり、そのための権限を与える必要がでてきます。また、相互に専門性が高いため、互いの権限について相互に干渉はしません。つまり、組織末端に「タコツボ」が無数にできて、それぞれが権限を分散保持して意思決定しますが、全体としてどこに進んでいるかは、誰にもわからなくなるのです。

 欧米型組織では、その対策として中間階層を簡素化しトップと末端の距離を縮めて(「フラット化」)、トップが末端の意思決定状況を把握しながら、必要に応じて上部の意思を伝え指揮することで「責任」を果たす「分権化組織」を指向すると言われています。

 さて、話を朝日新聞に戻しましょう。
 そもそも、朝日新聞の経営陣は、誰に対して「責任」を負っているのか。上場企業なら株主ですが、この会社は非上場で、筆頭株主は「従業員持株会」、第二位は「テレビ朝日」で両社合わせて発行株式の1/3以上、社主家も大株主ですが、これなら押さえ込める。では、「従業員持株会」や「テレビ朝日」が経営責任について「モノ言う」かといえばそんなはずもなく(朝日はテレ朝の筆頭株主)、むしろ朝日経営陣の言いなりでしょう。つまり「責任」に関しては、朝日経営陣はほぼ「無敵の人」なのです。

 では、「安全保障」面ではどうか。公正取引委員会に指摘されるまでもなく、新聞業界はいわゆる特殊指定に守られて戦略的な価格競争がほとんどなく、ゆえにシェアの変動も極めて緩慢で、いわば「恒久平和」の状態にあります(最近はちょっと違うようですが)。

 「国の死に方」の考え方が企業に当てはまるなら、この状態ではまず間違いなく「権力は低きに流れる」。では、権力が末端に分散され経営者の責任の所在が不明になると、新聞社では何が起こると考えられるか、それは次回

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番外編: ある讃岐うどん屋さんの「怪メニュー」

 豊洲で仕事する機会が多く、昼食や帰りがけに豊洲にある讃岐うどん屋さんで一杯ひっかけることが結構あります。
讃岐うどん@豊洲・20130901・店舗
 お昼時や休日の夜はかなりの行列になるお店でして、注文口でメニューを告げれば数秒後には手渡され、お好みの揚げ物なんかをピックアップして会計するシステム。メニューはこんな感じ。
讃岐うどん@豊洲・20130901・メニュー
 「豊洲名物!!」と冠された「こだわりあさりうどん」や、「おすすめ!!」の「豚しゃぶ胡麻ダレ」などが目を引きますが、実はこれらを頼んでも、私の場合はいつも売り切れ。1日何食限定などの表示もないし、「売り切れ」表示されているところも見たことがありません。この日も下のような表示なのに、元気一杯「売り切れ」通告。
讃岐うどん@豊洲・20130901・メニュー2
 しばし行列に並び、自分の後ろにも何人もの行列ができた状態で、店員に悪びれもせず「売り切れです」と告げられて……結局、困惑しながらレギュラーの「かけ」や「ぶっかけ」にしてしまうことに。

 そんなことが2度続き、その後は逆に実験として、最初は常に「こだわりあさりうどん」を頼んでみることにしていますが……これまで曜日を変えて4回実験し、結果はすべて「売り切れ」。このメニュー、ほんとに「実在」するのかしら……ま、要するに、いかにも原価率が高そうな「あさり」なんかはごく少数の販売で、これらに釣られて並んだ客に、後客のプレッシャーをかけながら売り切れを突然告げて、原価率の低いレギュラーメニューに誘導しようということだったりして……

 数量を限定した販売の場合に、ラーメン屋さんが「1日30食」などと表示したり、売り切れたら即座に券売機の表示が変わるようにしていたり、券売機で食券を買ってから(売り切れでないことを確認してから)行列に並ぶように誘導されているのは、実は「不当景品類及び不当表示防止法」という法律があり、公正取引委員会というコワ~い組織の「おとり広告に関する表示」「『おとり広告に関する表示』等の運用基準」というお達しがあるからで、

 「おとり広告」とは、
取引の申出に係る商品又は役務について、取引を行うための準備がなされていない場合その他実際には取引に応じることができない場合のその商品又は役務についての表示」や、
取引の申出に係る商品又は役務の供給量が著しく限定されているにもかかわらず、その限定の内容が明瞭に記載されていない場合のその商品又は役務についての表示」であって、

 「広告、ビラ等において写真等により表示した品揃えの全部又は一部について取引に応じることができない場合 」は「取引を行うための準備がなされていない場合」に該当するし、

 「販売数量が著しく限定されている場合には、実際の販売数量が当該広告、ビラ等に商品名等を特定した上で明瞭に記載されていなければならず、販売数量が限定されている旨のみが記載されているだけ」でも、「限定の内容が明瞭に記載されているとはいえない
 なんて、コワ~いことが書いてあるから。

 券売機を使わない讃岐うどん屋さんのような商売では、特に気をつけた方がよろしいかと……

# 味は結構よい店なので、豊洲から消えると私は寂しい……

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そこに「絆」はあるか―――「『3.11』から1年」に想う

恋しぐれ@自宅
 あの震災から1年。震災直後から「絆」という言葉がもてはやされているが、ずっと違和感があった。しかも、1年間様々な出来事を見聞きし体験するにつれ、その想いは強まっている。

 東北の方々は、本当に多くのモノを失った。家族、仕事、家屋、コミュニティ、そして清浄なる故郷を失った方も。だが、東北以外に住む国民は、(一見)何も失ってはおらず、今後も何も失うまいと必死になっている。

 「放射能」を理由に瓦礫受け入れを拒み、「放射能」を理由に東北の産品を拒み、「放射能」を理由に自主避難されてきた方々を疎み……失った人と、失うまいとする人、そこに「絆」はあるだろうか。むしろ「放射能」に名を借りた「心の壁」を自ら作り出して、「絆」を拒んでいるのではないだろうか。

 テレビで養老孟司氏が興味深い話をしていた。先の大戦では、全国が戦災に見舞われ、大多数の国民が多くのモノを失った。そして、誰もが否が応でも変化せざるを得ない状況の中で、様々な「共通の思い」(多くは「科学万能主義」など他愛のないものであったが)が生まれた。だが先の震災では、東北以外に住む人は(一見)何も失っておらず、自らを変化させる必要性を何ら認めないので、口先では何と言おうが、これからも変化することを拒むだろう。しかし、一人一人が認めようが認めまいが、原発事故が突きつけたエネルギー問題は、すべての国民に「変化」を迫るものだ、と。

 全ての者に「変化」が求められている状況下で、「失った人」と「失うまいとする人」の間で「共通の思い」を築けるか……いつか、変化に立ち向かう中で「心の壁」が取り払われ、「共通の思い」を分かち合える日が来るなら、その時はじめて、「絆」という言葉を使うべきじゃないだろうか。

 震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、多くのものを失われた方々に深くお見舞い申し上げます。

(写真は、震災直後から育て始め、夏に多くの花をつけた「恋しぐれ」)

プロフィール

miles

Author:miles
 千葉南西部や都心のラーメンを食べ歩きながら、某サイトへ5年にわたりアレコレ書いてきましたが、都心に引越し連載も1,000回を越えたあたりでこちらへシフト。他の話題についても「So What?」な気分で、アレコレ書いていこうと思います。
 とはいえ、ほとんどラーメンの話題になってしまうのか……

年齢:オッサン
仕事:新橋系サラリーマン
オッサンゆえの自己ルール:
 ・6人以上の店外行列はパス
 ・週4杯、日1杯以内
 ・連食・副食・大中盛NG
 ・移動は電車&徒歩
 ・移動時間30分以内
 ・飲み後のシメNG

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