国の死に方、会社の死に方 (前編)

 先日、テレビで朝日新聞の社長記者会見を見ながら、ふと「国の死に方」(片山 杜秀著)という本を思いだし、再読してみました。

 この本の前半のテーマは、「権力は低きに流れる」。永らく国家が安全保障面で安定してしまうと、権力はトップから徐々に組織階層下部の各末端に分散され、分散された部分権力をもつ各末端組織は全体に対する責任を考慮せず、トップは責任を果たすために必要な権力を喪失しているため、結局誰も全体に対する責任を負わなくなって、国が死ぬ。

 「国の死に方」によれば、鎌倉幕府は将軍家から執権、そして執権の執事であるはずの内管領に権力が流れて滅亡、室町幕府も将軍家から管領、その管領の部下(三好長慶など)、さらにその部下(松永久秀など)に権力が流れ、結局誰に何の責任があるのか不明な組織となって滅んだとしています。

 江戸幕府は老中制を使ってこの「権力の下方流出」を食い止め太平の世を築きましたが、安全保障面で問題が起こると脆くも滅亡。そのあとの大日本帝国憲法下の新政府も、江戸幕府の老中制にならって元老制度を取り入れましたが、やがて元老も死に政党政治も機能せず、権力が軍部末端に流れて歯止めがきかず、遂に完全に国が死んでしまいました。

 なぜ「権力は低きに流れる」のか。これは国と企業という差はありますが、経営学的には「分業」と「分権」という考え方で説明できると思います。安全保障面で問題がないときは様々な内政問題への対応がメインとなり、財務、金融、福祉、外交、通商などなど、幅広い分野それぞれに専門家があたる「分業」が必要となります。環境変化に適応するには各専門家の意思決定スピードが重要となり、そのための権限を与える必要がでてきます。また、相互に専門性が高いため、互いの権限について相互に干渉はしません。つまり、組織末端に「タコツボ」が無数にできて、それぞれが権限を分散保持して意思決定しますが、全体としてどこに進んでいるかは、誰にもわからなくなるのです。

 欧米型組織では、その対策として中間階層を簡素化しトップと末端の距離を縮めて(「フラット化」)、トップが末端の意思決定状況を把握しながら、必要に応じて上部の意思を伝え指揮することで「責任」を果たす「分権化組織」を指向すると言われています。

 さて、話を朝日新聞に戻しましょう。
 そもそも、朝日新聞の経営陣は、誰に対して「責任」を負っているのか。上場企業なら株主ですが、この会社は非上場で、筆頭株主は「従業員持株会」、第二位は「テレビ朝日」で両社合わせて発行株式の1/3以上、社主家も大株主ですが、これなら押さえ込める。では、「従業員持株会」や「テレビ朝日」が経営責任について「モノ言う」かといえばそんなはずもなく(朝日はテレ朝の筆頭株主)、むしろ朝日経営陣の言いなりでしょう。つまり「責任」に関しては、朝日経営陣はほぼ「無敵の人」なのです。

 では、「安全保障」面ではどうか。公正取引委員会に指摘されるまでもなく、新聞業界はいわゆる特殊指定に守られて戦略的な価格競争がほとんどなく、ゆえにシェアの変動も極めて緩慢で、いわば「恒久平和」の状態にあります(最近はちょっと違うようですが)。

 「国の死に方」の考え方が企業に当てはまるなら、この状態ではまず間違いなく「権力は低きに流れる」。では、権力が末端に分散され経営者の責任の所在が不明になると、新聞社では何が起こると考えられるか、それは次回

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 とはいえ、ほとんどラーメンの話題になってしまうのか……

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